奇祭と呼ばれるその日まで 「大立山まつり」を見に奈良への旅
今年から始まった、奈良県は平城宮跡で開かれていた「大立山まつり」を見てきました。結論から書くと、B級スポット的な方向でポテンシャルを隠し切れない祭りでした。むしろ漏れ出ていたと言ってもよい。
平城宮跡には近鉄大和西大寺駅から歩いておよそ15分ほど。期間中は無料のシャトルバスも出ていましたが、非常に混雑していたのでおとなしく歩きます。安定の道迷いで、会場に着くころには30分近くが過ぎ去ってたのはご愛嬌。
さて、平城宮跡に到着です。ここがまただだっ広いんですが、実際の会場となっているのは大極殿前広場と呼ばれる場所です。平城宮最大の宮殿を復元した「第一次大極殿」が鎮座する、玉砂利が敷き詰められた広場になっています。
広場の中に入っても、こんな感じ。とにかく広い。
そして大極殿の存在感がすごい。
この祭りでは、大極殿の前でステージを設けています。奈良県各市の伝統行事や祭事がここでは展開されており、僕が着いた時には御所市の「ススキ提灯献灯行事」が行われていました。
神主のご祈祷。
回る提灯。
ところで、この日のメインイベントなんですが、四天王の山車がこの広場をぐるりと練り歩く、というものです。まあ要するにねぶた祭りの縮小版
こんな子たちが4基おります。高さがおよそ8メートル。「立山」という言葉が、この地では人よりも少し大きな人形を指す言葉だったらしく、今回はそれよりも更に大きな人形を用いるということで、「大立山」まつりという名称になったそう。
しかし、どこかで見たことのある顔のような…と思ってグーグル先生に聞く。
山車に四天王像 - 籔内佐斗司さんデザイン/大立山まつり | 総合 | 奈良新聞WEB
作者せんとくんと同じじゃねーか。
とたんに愛着が湧いてきたぞ…!やるな奈良県…!
いややっぱ愛着は湧かないな。自発光の具合も相まってものすごく濃ゆい。なんか、ねっとりとした口調で怒られそう。
4つ全てを確認し終わったころ、ステージ上で和太鼓のパフォーマンスが始まる。
その音に合わせる形で、広場四角のそれぞれから、「大立山」が動き出します。
和太鼓のパフォーマンスは迫力に溢れていてめちゃくちゃ恰好良かった。
「舞太鼓あすか組」というパフォーマー集団が出演されていたみたいです。
山車は広場をぐるりと回ります。
大極殿を背景にした姿は非常に画になる。
最後には4基全てが勢揃いして、フィナーレを迎えたのでした。
*****
さて、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
冒頭にB級スポット的な、とお伝えしたわりには大したことないなと、きっとそんな風に思ったのではないでしょうか。安心してください、ここからが本番ですよ。たった5張のテントに押しこめられた、めくるめくファンタジーの世界をお届けいたします。
「立山展示」の看板とその全容。
予備知識なくここを訪れたほぼすべての人が、何だこれ…となっている空気感が少しでも伝わるでしょうか。濃いベージュのジャケットのお兄さんの、少しそり返った具合が非常にこのコーナーをよく表しています。名演だ。
ひとつめのテントです。
何の説明もなく唐突にあらわれた「広陵町初代かぐやちゃん」です。
僕も説明を受けていないのでもう何も書きません。左側の人形にもあえて何も触れません。奥の坂本竜馬の名言にも触れません。
ただひとつお伝えしておくと、上述のとおり「立山」とは人よりも少し大きな人形、です。そしてこのコーナーは「立山展示」です。つまり今後もそういうことです。
ふたつめのテントは「天平の貴族」です。「の」の後乗せ感よ。
あとここでは笑い飯の伝説のネタ「奈良県立歴史民俗博物館」を思い出させるBGMがエンドレスで流れていました。そういえば顔つきもどことなく西田さんに似てんな。
みっつめ。「天岩戸伝説」ってご存知ですか?
そう、天照大神が日本初の引きこもりになられたお話ですね。アメノウズメの踊りで八百万の神々が笑い転げて、その笑い声に釣られて結局出てきちゃう、みたいな話です。
これが
こうなります
これが
こう
写真撮ってたら後ろの方から女子高生の正しい「ヤバい」が聞こえてきた。
よっつめは「かぐや姫」です。近しいワードをちょっと前に見たのにまったくデジャヴが無い。
二代目、幸薄そうにも程がある。
でもってお爺さんが三代目を見つけてしまっている。なんだこのカオス。
やっぱり幸薄そう。
最後、いつつめのテントはパネル展示でした。ここだけ普通すぎて写真撮るの忘れた。
*****
以上、「大立山まつり」に行ってきた回でした。
来年はこの「立山展示」ゾーンをさらにパワーアップして、奈良の誇る奇祭としてその名を轟かしていくのが正しい方向性では無いかと思います。頑張れ大立山まつり。いつかワンダーJAPANに掲載されるその日まで…!